YOMO-BANA新設
よもやま話です。
ふと
『もしこの通勤がある生活が無くなったら』と考える。
今は通勤というもので形成されている時間軸に委ねる生活。
それは学生やその以前の時と違いが大きい。
『時間軸がズレたら』と、仮定とするとして…
ある一定期間までは時間の余裕に身を任せて だらだらの生活になりそうなものだけれど、
もし今そんな状況に置かれたら必死に 抗って 生きていそうな自分。
何に怯えるのか、不安になりそうなのか、まったく分からないけれどとにかくじっとして
いられなさそう。楽しめるものも心の底から楽しめないような、。
仮定という思想の中だけれど、妙にそういう『怖い・不安』という感覚的なことに
とかく敏感な自分。
こんな思想にぐるぐる取りつかれること自体、私は暇人なのだろうか?
きっとそうに違いないーーー