『ファッションが教えてくれること』

  • ファッションというものに対して流行に疎くは、ない。
  • それに敏感になること以上に日々の装いに関してはチープなものも着用するし

いわゆるハイファッションと呼ばれるブランドのデザインに唸ることも、ある。

  • 結果、いかに自分の体形と相談するか、活かすか・女性らしく居られるかという結論に重きを置いている。


といったかんじで私自身は『ファッション』に関してはごく一般的感覚に近い方なのだと自負している。

というか改めて考えてみるとむしろこだわりって無意識にごく近くてファッションを文学や哲学のように
捉えたことなんてなかったかも知れない。

そんな私がまず今回のこの映画の主人公である米『ヴォーグ』編集長 アナ・ウィンターを偶然知ったのは
Numero TOKYO FEBRUARY2009(ファッション雑誌)をめくっていた時だった。

ちょうど『パリコレ・パパラッチ』というような特集が組まれていて メインのコレクションを取り巻く周りの
状況に切り込むかたちでフロントロウにいる大物ゲストの紹介やランウェイ前のデザイナーの緊張感が伝わる
フォトが誌面に組まれ 普段パリコレのいろはを知らない私でも非常に興味を持った。

その中にアナ・ウィンターが紹介されていて≪世界中のファッションエディターの中でもっとも影響力がある≫
と書かれていたことと≪彼女の個人的な都合のためにコレクションの日程が変更することもしばしば≫なんて
載っていたので「どんだけー・・・」と思わず口走ったことを覚えている。

きっとこの映画を知ってから公開日まで期間が長いなーと感じていたということは
自分にとってこのアナ・ウィンターという女性に惹かれていたということだったようで
上映後浮かんできた言葉は『痛快!』といった感じ。

なんだか面白いことに日ごろのある部分のストレスが吹き飛んでいた。
晴れ晴れしい気持ちでひとり映画館をあとにする
(振休を映画のレディースデーに充てるのは我ながら妙案だと思う。社会人の特権か!?)。

こんな感覚はひさしぶりだった。

この映画を観にいく人の中で、主人公となるこの女性はファッション業界においてどういう人物かということを
ずっと以前から知っていた上で観にきました!という人はいったい何割くらいいるのだろう。

観る人にがなにを目的にこの映画を観に行くのか(もしも明確に意思を持っているならばですが)によって感想は
千差万別になりそうな映画です。